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現在演奏されているジプシージャズは、1930年代のホットクラブ・スタイルの模倣で、音楽的な進化はほとんどありません。しかしながら、ジャンゴ自身は当時最先端でポップな音楽であったジャズに深く傾倒し、ジャズの進化とともに自身のギター・スタイルや音楽性を追従させました。ミュージシャン個人としては、本場米国のジャズ・ミュージシャンと同列に考えるべきであり、ジャンゴ自身をジプシージャズというカテゴリーでくくることは間違いです。ジプシージャズという言い方もジャンゴの死後に、フォロワーが模倣した音楽を指す言葉として一般化しました。ジャンゴはジプシージャズというスタイルを創ろうとしてギターを弾いたのではなく、本場のジャズと同等のギターを弾こうとしただけだったのです。
ジャンゴがプロとして演奏を始めた頃、ギターバンジョーによるミュゼット音楽の伴奏が主なパートでした。ミュゼットは、元々はイタリアから流れ着いた音楽がフランスで発達した音楽で、アコーディオンをメインにしたダンス・ミュージックです。アコーディオンはボタン式のものを使い、アルペジオや転調を多用したハイテクニックな演奏をします。
ジャンゴの先輩ギタリスト、バロ・フェレも、1930年代初めにはすでにミュゼット・スタイルのバンドで活躍し、ジャンゴのようなソロギターを弾いていました。(後にバロはフランス・ホットクラブ五重奏団にリズムギタリストとして加わっています。)しかし、当時のジャズが最先端の音楽だったのとは反対に、ミュゼットは古くさくてダサい音楽だとジャンゴは考えたようです。その証拠に、ジャンゴがギタリストとして一人立ちした1934年頃からは、ミュゼットの伴奏を録音していません。逆にフランス俗謡のもう一方の代表であるシャンソンの伴奏は好んだようで、残された録音からは、ジャンゴやグラッペリが、やりたいようにやって、そのシャンソンをよりジャジーでモダンなものに仕上げたことが分かります。
二次大戦が始まろうとする頃に戦火を避けてグラッペリが英国に渡ってしまったため、その後何度かの再結成はあったものの、ジャンゴはホットクラブ・スタイルと快別しました。同時に米国のビッグバンド・ジャズの流行と呼応して、自らもビッグバンドをバックに録音することが多くなりました。また、バイオリンの代わりにクラリネットを加えた新生五重奏団は、スイング・ジャズのベニー・グッドマンに代表されるスモール・コンボにも影響を受けたと考えらます。その頃には電気ギターも演奏するようになり、ドラムやホーンが入ったコンボでも音量的なハンデが無くなったため、よりジャジーでダイナミックな演奏をするようになりました。戦後の米国ではミュージシャンズ・ミュージックであるビバップがジャズの主流となりましたが、ジャンゴもビバップの方法論を取り入れた演奏をするようになりました。特に亡くなるすぐ前の録音を聞くと当時の米国のジャズと全く同じサウンドであることにびっくりします。