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現在のジプシージャズの元になっているスタイルには、ジャンゴのホットクラブ・スタイルとは別に、スイング・ミュゼットと呼ばれる、伝統的なミュゼットにジャズ的なアドリブ演奏を加えたスタイルがあります。ジャンゴの死後、同僚や後継者は、1930年代のホットクラブ・スタイルやスイング・ミュゼット・スタイルを発展させて、いわゆるジプシージャズを確立しました。(gypsyはEgyptianから来た英語で、遠くから来た民族の意味があったようです。北西フランスのジプシーはマヌーシュと呼ばれるため、ジプシージャズはフランス風にジャズ・マヌーシュとも呼びます。)ジャンゴがジャズを追求して自らの音楽を変化させていったのに対して、1930年代の様式を固持する現在のジプシージャズは、音楽的な意味で退行と言わねばなりません。しかしながら、彼らの演奏は技術的にかなり高度なものとなり、特にギターは曲弾きの域に達して、それはそれで存在感のあるスタイルとなっています。また、ジプシージャズはそのまんま、演奏家の多くがジプシー出身であるために、ジャンゴがやった演奏よりも更にジプシー色が色濃く出たサウンドを聞かせてくれます。フランス以外のドイツやノルウェーといった国でも、その土地のジプシーが、ジプシージャズを演奏しており、国ごとの特色として、リズムや旋律が微妙に違うのが面白いです。ジプシージャズの演奏に、彼らの音楽的アイデンティティを求めているようにも聞こえます。
ジャンゴの息子、バビクは父の意志を継ぎ、ビバップやモダン・ジャズのイディオムでジプシーギターを演奏しましたが、惜しくも先年亡くなりました。1960年代以降のステファン・グラッペリは、(彼はジプシーではありませんので当然ながら)ジプシー色が弱まり、ジャズ・バイオリンの大家として活躍しました。1970〜80年代以降には、クリスチャン・エクスーデやフィリップ・カテリーンといった、フュージョンやロック寄りの演奏を試みたプレイヤーも数多く出現しました。
現在、ヨーロッパにおいては、ジプシージャズのスター・プレイヤーが多数輩出し、メジャーレーベルと契約するなど、狭いカテゴリーの中でも、音楽ビジネスとして成立するほどに活況を呈しています。そして、ジプシーではないプレイヤーも珍しくはなくなってきており、単にグローバルなギター音楽であり、ひとつのジャンルとして、ジプシージャズが定着しているかのように見えます。更に米国では、アコースティック・ギターの究極の姿としてジプシージャズを捉えるプレイヤーが多く、アメリカン・サウンドにホットクラブ・スタイルのギターを取り入れる演奏家やバンドが少なくありません。(米国ではジャズよりもカントリーの世界にジャンゴの影響を多く見受けられます。)
こういったジプシージャズの愛好家は全世界に存在し、特にヨーロッパやアメリカでは、ジプシージャズ専門のコンサートが開かれることも少なくありません。中でも、フランス、パリ郊外のサモアで毎年開かれるジャンゴ・フェスは、演奏家・愛好家が世界中から大挙集まって盛況です。もちろん、日本でも愛好家がインターネットを利用しながら、交流を続けており、益々、その輪が広がっているようです。ジャンゴの50周忌でもある2003年は、日本でも更にジプシージャズ界隈の音楽が話題になっています。